南長野青年会議所について
青年会議所とは
青年会議所(JC)は、“明るい豊かな社会”実現を同じ理想とし、次代の担い手たる責任感をもった20歳から40歳までの指導者たらんとする青年の団体です。
青年は人種、国籍、性別、職業、宗教の別なく、自由な個人の意志によりその居住する各都市の青年会議所に入会できます。
70年以上の歴史をもつ日本の青年会議所運動は、めざましい発展を続けておりますが、現在684の地域に約30,000名の会員を擁し、全国的運営の総合調整機関として日本青年会議所が東京にあります。
全世界に及ぶこの青年運動の中枢は国際青年会議所ですが、117ヶ所の国及び地域に104NOM(国際青年会議所)があり、約150,000人が国際的な連携をもって活動をしています。
日本青年会議所の事業目標は、“社会と人間の開発”です。その具体的事業としてわれわれは市民社会の一員として、市民の共感を求め社会開発計画による日常活動を展開し、「自由」を基盤とした民主的集団指導能力の開発を押し進めています。
さらに日本の独立と民主主義を守り、自由経済体制の確立による豊かな社会を創りだすため、市民運動の先頭にたって進む団体、それが青年会議所です。
(公社)南長野青年会議所 基本情報
設 立 | 1961年7月13日 篠ノ井青年会議所発起人会 1961年8月27日 篠ノ井青年会議所結成大会 1982年11月4日 社団法人設立許可書交付 2011年8月22日 公益社団法人移行 |
---|---|
日本JC加入 | 1972年10月11日 認承 認承番号508 |
スポンサーJC | 社団法人長野青年会議所(現在:公益社団法人長野青年会議所) |
姉妹JC | 大韓民国 西大邱青年会議所(1984年) |
褒賞受賞 | 1984年 北陸信越地区協議会 自由テーマ・優秀賞 1986年 日本青年会議所 優秀青年会議所賞・優秀賞 1986年 北陸信越地区協議会 優秀青年会議所賞・優秀賞 1989年 北陸信越地区協議会 グローバル化推進賞・優秀賞 |
(公社)南長野青年会議所シンボルマークについて
上杉謙信と武田信玄が信州の川中島で戦った事は昔から有名である。川中島の戦には特徴が三つある。その一つは上杉も武田も非常に強い大将で戦は激しかった事である。ある時は上杉謙信が自分一人で信玄の本陣に切り込んで、信玄に切りつけたといわれる。お互いの大将が直接刃を交えた事である。第二には戦いのやり方が非常に変化に富んでいた、キツツキ戦法・車がかりの戦法と現代まで戦術として残されている。第三に両大将の性格が正反対であった事である。
この戦いの内に秘められた種々の思惑は後世まで語り続けられ人生観の育成に企業の方針に生きているのである。又、川中島と云う地名には南に千曲川、北に犀川のデルタ地帯であり信濃川の上流である。土地は肥え風光明媚な公害のない近代都市の要素を充分に包含している。南長野青年会議所も此の様な環境の中央に位置し無限に発展する要素を兼ね添えている。清い河の流れと躍動的な武将の姿はいかにも明日に向って巣立つ若鳥ではないか。
青年会議所とは
青年会議所(JC)は、“明るい豊かな社会”実現を同じ理想とし、次代の担い手たる責任感をもった20歳から40歳までの指導者たらんとする青年の団体です。
青年は人種、国籍、性別、職業、宗教の別なく、自由な個人の意志によりその居住する各都市の青年会議所に入会できます。
70年以上の歴史をもつ日本の青年会議所運動は、めざましい発展を続けておりますが、現在684の地域に約30,000名の会員を擁し、全国的運営の総合調整機関として日本青年会議所が東京にあります。
全世界に及ぶこの青年運動の中枢は国際青年会議所ですが、117ヶ所の国及び地域に104NOM(国際青年会議所)があり、約150,000人が国際的な連携をもって活動をしています。
日本青年会議所の事業目標は、“社会と人間の開発”です。その具体的事業としてわれわれは市民社会の一員として、市民の共感を求め社会開発計画による日常活動を展開し、「自由」を基盤とした民主的集団指導能力の開発を押し進めています。
さらに日本の独立と民主主義を守り、自由経済体制の確立による豊かな社会を創りだすため、市民運動の先頭にたって進む団体、それが青年会議所です。
(公社)南長野青年会議所 基本情報
設 立 | 1961年7月13日 篠ノ井青年会議所発起人会 1961年8月27日 篠ノ井青年会議所結成大会 1982年11月4日 社団法人設立許可書交付 2011年8月22日 公益社団法人移行 |
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日本JC加入 | 1972年10月11日 認承 認承番号508 |
スポンサーJC | 社団法人長野青年会議所(現在:公益社団法人長野青年会議所) |
姉妹JC | 大韓民国 西大邱青年会議所(1984年) |
褒賞受賞 | 1984年 北陸信越地区協議会 自由テーマ・優秀賞 1986年 日本青年会議所 優秀青年会議所賞・優秀賞 1986年 北陸信越地区協議会 優秀青年会議所賞・優秀賞 1989年 北陸信越地区協議会 グローバル化推進賞・優秀賞 |
(公社)南長野青年会議所シンボルマークについて
上杉謙信と武田信玄が信州の川中島で戦った事は昔から有名である。川中島の戦には特徴が三つある。その一つは上杉も武田も非常に強い大将で戦は激しかった事である。ある時は上杉謙信が自分一人で信玄の本陣に切り込んで、信玄に切りつけたといわれる。お互いの大将が直接刃を交えた事である。第二には戦いのやり方が非常に変化に富んでいた、キツツキ戦法・車がかりの戦法と現代まで戦術として残されている。第三に両大将の性格が正反対であった事である。
この戦いの内に秘められた種々の思惑は後世まで語り続けられ人生観の育成に企業の方針に生きているのである。又、川中島と云う地名には南に千曲川、北に犀川のデルタ地帯であり信濃川の上流である。土地は肥え風光明媚な公害のない近代都市の要素を充分に包含している。南長野青年会議所も此の様な環境の中央に位置し無限に発展する要素を兼ね添えている。清い河の流れと躍動的な武将の姿はいかにも明日に向って巣立つ若鳥ではないか。